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★ 私とバルキリーⅡの出会い ★ 私のお気に入りデザイン考
My Story - 私と「バルキリーⅡ」の出会い
第1章: 小学低学年で受けた「マジンガーZ」の衝撃
あれは「アタックNo.1」だったか、姉が見ていたバレーボール・アニメの時間帯に、何気なくテレビの前に座っていました。夕方6時だったと思います。突然画面の中に映し出されたのは、「マジンガーZ」でした。新聞も読まない小学低学年だったので、そんな新番組が始まろうとは夢にも思っていませんでした。
サンダーバードのような秘密基地の妙味、乗り物が合体して操縦席になる斬新さ、ヒーロー然とした強くてカッコ良いロボット、そしていかにも悪者然とした敵役と敵メカ達。私も世の多くの子供たちと同じように強い衝撃を受け、30分で巨大スーパーロボットの世界に魅了されてしまいました。
子供心を虜にしたマジンガーシリーズは3代続き、加えて変形合体を取り入れたゲッターシリーズ、全身パーツが磁石で合体するシリーズなど、永井豪先生の業績によってロボット・アニメという新ジャンルが確立されました。
さらに、安彦良和氏の手になる神話的ラインの「勇者ライディーン」や、松本零士氏の「惑星ロボ/ダンガードA」、個性的な母艦を持つ「大空魔竜ガイキング」、まるで戦隊ヒーローのロボット版「ブロッカー軍団Ⅳ/マシーンブラスター」、アメフト風の「UFO戦士ダイアポロン」、そして合体・変形にリアリティを持ち込んだ「超電磁ロボ/コン・バトラーV」シリーズなど、わずか5~6年でバラエティに富んだ発想やデザインワークが隆盛を極め、知らず知らずのうちに大きな知的刺激を受けていました。
この時代に日本の小学生でいられて、本当に幸せだったと思います。(しかし、地元の民放は当時2局で、上に記載したアニメタイトルも、約1/3は地元テレビで見ることはできませんでした。)
第2章: 架空メカからリアルメカへ、「スーパーカーブーム」の洗礼
私が小学高学年の頃、世の中を席巻したのが「スーパーカーブーム」です。テレビ画面の中でしか「カッコいいメカ」を知らなかった子供たちに、現実の工業製品であるスーパーカー達が、浮世離れしたデザインワークを見せつけたのです。
アニメのロボットメカによって醸成されていた「カッコ良さ」への感性が、子供たちの成長と共に一気に現実社会へと向けられたことで、空前絶後の爆発的大ブームが巻き起こったのではないでしょうか。何故なら、 あの社会現象の主役は、決して実車を駆るスーパーカー・オーナー達ではなく、子供たちだったからです。
私自身が、その典型でした。駄菓子屋で買ったスーパーカーカードで当たりを引き、今で言うとたぶんA3サイズくらいのポスターをもらいました。それが、白ボディに赤内装の「ランボルギーニ・カウンタック」だったのです(上記写真は近年発売された1/43モデル)。子供部屋に貼って眺めながら、「これは一体何なんだ」と、しばらく頭と心が混乱していました。あのポスターがもしロールスロイスだったら、今の私はなかったかも知れません。
1970年代には、多くの家庭にマイカーが普及しており、自動車は身の回りにある実用品の一つでした。そのためか、子供心に「カッコいい」と思ったことはありませんでした。なのに、一連のスーパーカーは、尋常でなくカッコいいのです。町を走る日本車と、写真で見る(主に)イタリアン・スーパーカーは、「本当にこれで自動車という同じジャンルの工業製品なんだろうか!?」。そういう釈然としない疑問から発展し、現実世界に広がるメカデザインの奥深さに目覚めていきました。
第3章: 中学時代、「モデルガン」で学んだ兵器の機能美
好きだった漫画「ワイルド7」やアニメ「ルパン三世」、ハリウッド映画などの影響で、身近な実用メカとして銃器にも興味が出てきました。田舎住まいだったため、初めて買ったのは雑誌広告の通販で、オモチャのようなワルサーP38でした。一転、田舎から県庁所在地の有名中学校に進学したのを契機に、県内でほとんど唯一に近かったモデルガン・ショップに通えるようになりました。
当時唯一の銃専門誌「月刊GUN」を毎月購読し、お小遣いをためて数カ月に一丁だけ購入できたモデルガンを手に、工業製品としての創意工夫や完成度、操作性やスタイリングなどを、書籍と手元の3D造形物から複合的に学んでいきました。
デザインかと思いきや、リボルバーのシリンダーにある窪みは軽量化のためだったり、シングルアクション銃は撃鉄を起こす際ひっかからによう周辺が滑らかに加工されていたり、根本的解決としてダブルアクションが発明されたり、同じ銃でも用途によって銃身の長さを選択したり、リボルバーの弾の入れ替えを一瞬で行う工夫がされていたり、根本的解決としてオートマチック銃が発明されたり、弾の装填数を増やすため2列式の弾倉(マガジン)が発明されたり、材質を金属から強化プラスチックに変え軽量化したりと、兵器として機能を高めるべく、ありとあらゆる知恵が凝縮されているのです。
銃といえども、各メーカーによる工業製品だなと実感したのが、リボルバーのシリンダーを本体から横に出す際のロック解除ボタンです。モデルガンを眺めていると、その仕組みと形状が、メーカーで異なっているのを発見しました。コルト社は親指で手前に引きます。S&W社は逆に銃身の方へ押します。ルガー社(レッドホーク)は前後のスライドではなく、親指を掌に押さえつける方向に押します。たぶん、特許で自社技術を囲っていたんでしょうね。
第4章: ロボット“兵器”、「機動戦士ガンダム」の登場
私は10歳から徒手空拳の武術(流派は様々)を学んできましたが、中2の引っ越しに伴い転籍した道場で、アニメファンの友人ができました。彼の家に遊びに行った時、見せてくれたアニメ誌が、確か「月刊OUT」だったと記憶しています。
その表紙には、洗練されたラインだけど妙に違和感のあるロボットが、銃と盾を構えて仁王立ちしていました。何の予備知識もありませんでしたが、一枚のイラストだけで、小学生の頃親しんだスーパーロボット文化を超越したコンセプトと斬新なデザインワークであることが理解できました。私が「機動戦士ガンダム」を初めて目にした瞬間でした。
たぶん、キー局が地元の民放2局と違う系列だったためか、アニメ放送の予定はありませんでした。これが地方の実情です。しかし、中学校の同級生(アニメ好きの女子)が放送を嘆願する署名活動を行っていたため、私も「あのロボットなら見てみたい」と署名に参加し、その成果か、しばらくして「機動戦士ガンダム」のテレビ放送が開始されました。ただし、放送時間は早朝6時半からでしたけど。
今や日本一有名になった本作は、皆によって既に語り尽くされた感があります。そこで、私が「マジンガーZ」並みに最も衝撃を受けたシーンを一つだけ挙げておきます。それは、ザク(人が操縦する大型ロボット)がドラムマガジン式のマシンガンを使い、薬莢が地面にゴロンゴロンと落下してくるシーンです。
スペースコロニーが実用化された未来に、銃器がまだ薬莢を使っているというのは、客観的に考えるとナンセンスです。未来の兵器が、そんな進歩のない設計のままである訳がないからです。しかし、今を生きる我々にとって、「ロボットは兵器である」というリアリティを端的に伝える画期的な映像表現であったことは間違いありません。
アニメファンの論理で語られる、アムロの成長がどうの、人間ドラマがどうの、分かり合いがどうのという創作話(何とでも作れる)に、本作の意義や価値が存在しているのではありません。ロボットを憧れの「スーパーヒーロー」の座から引きずり下ろし、血にまみれた純粋な「戦闘兵器」として描き切ったことこそが、「機動戦士ガンダム」の歴史的な大偉業なのです。
第5章: “戦闘機”がロボットに変形する逆転の発想、「超時空要塞マクロス」
ガンダムブームも去り、部活(書道部&空手部)や映画製作(8ミリフィルム)に高校生活の情熱を注いでいました。さすがに高校生ともなると新聞を読むので、ロボットアニメの新番組らしいと軽い気持ちでテレビを見ていました。
始まって少しすると、街中に飛行してきた戦闘機(ファイター)からニョキッと足が生え(ガウォーク)、あららと思っている間に人型ロボット(バトロイド)に変形したではないですか。
これこそが、河森正治氏「超時空要塞マクロス」の記念すべき初放送で、この変形メカが「バルキリー(Valkyrie=戦勝の天女)」です。30年近く経った今でも、このシーンは脳裏に焼き付いています。
河森氏は、ガンダムが確立した兵器コンセプトをさらに発展させ、元々が軍事兵器である現用戦闘機(F-14トムキャット)然とした機体を、一瞬で別用途のロボット兵器に変形させるという、神業をやってのけました。マクロスを語るのは、この一点で十分です。歌も三角関係も必要ありません。優れた変形原理の発見とデザイン化こそが、唯一で最高の河森氏の業績です。
第6章: 3D造形物(模型作品)の独立宣言、「ガンダム・センチネル」
ファーストガンダムは、私たち高校生らの熱意によって地元テレビで放送されましたが、残念ながら続編の「Zガンダム」や「ZZガンダム」は放送されず、私はその存在すら知らないまま大学生になっていました。その後、再びガンダムに関心を抱いた切っ掛けが、模型誌「モデルグラフィック」で連載された、カトキハジメ氏たちによる「ガンダム・センチネル」です。
ストーリーは私の知らない「Z&ZZ」の続編なのですが、企画の立ち位置が前衛的でした。十数年間、ずっとアニメの従属物でしかなかった「3D造形物」(模型作品)を主役の座に据え、それありきでメカデザインを煮詰め、ストーリー展開を図っていくという、模型誌ならではの全く新しいアプローチだったのです。
カトキ氏の才能が開花し、広く認知されたことは特筆に値しますが、私にとって印象深かった点は次の2つです。
一つは、主役機「Sガンダム」の顔面両側部のスリットが、先立つ1984年10月に発表された「フェラーリ・テスタロッサ」のボディ両側面に設けられた、ラジエータへのエア導入スリットと同じ意匠だったということです(右は1/43モデル)。
もう一つは、足が細い割には両肩に大きな核融合炉を携えており、「そうか!! 重力を受けない宇宙空間だから、こういう逆三角形スタイルであってもバランスは悪くないんだ」という、メカデザイン上の“既成概念崩し”ができたことです。Sガンダムは、ファーストガンダムのどっしり大地を踏みしめた立ち姿と対照的に、肩・胸・背と上半身に造形ボリュームが集中しています。
ちなみに、私が初めてフェラーリ・テスタロッサの実車を見たのは、就職後に出張したジュネーヴの街中でした。スーパーカーブーム以来目にする久々の実車フェラーリでしたので、かつての旗艦512BBからのドラスティックなデザイン転換と、実用の域を軽く凌駕したドラマティックなスタイリングに目を見張りました。物事の認識方法に、ちょっとした変革をもたらしてくれたという意味で、テスタロッサとS(Ex-S)ガンダムは、共に私の中では異母兄弟のように思える存在です。
第7章: オランダで出会った、「V2ガンダム」
就職すると、24歳でロンドン駐在となりました。実はそこで初めて、英国メーカーの精巧なホワイトメタル製1/43モデルカーを購入しました。現在の膨大なコレクションの記念すべき最初の一台、もちろん「ランボルギーニ・カウンタック」です。スーパーカーブームから十数年ぶりの再会になりました。
少し経ってオランダへ転勤となりましたが、当時は家庭にパソコンもインターネットも無く、会社のPCもWindowsではありません。つまり、日本から送ってもらわない限り、日本の情報はなかなか入手できない時代でした。
そんな中、アムステルダムの繁華街を運河沿いに歩いていくと、一軒のTOYショップを発見しました。スターウォーズ・フィギュアが目的の散策でした が、店舗内の階段を上がると、そこに見たことのないカッコいいガンダム・プラモがあるではないですか。バンダイ製 1/144 「V2ガンダム」でした。店主はたまに日本に出かけて、いろいろ仕入れているそうです。
当時日本に居たからといって、地元でテレビ放送さ れた確証はありませんが、私のオランダ駐在中に「機動戦士Vガンダム」、「機動武当伝Gガンダム」、「新機動戦記ガンダムW」、「機動新世紀ガンダムX」 と、少なくとも4作品が制作・放送されていたのです。もちろん、当時は全て知りません。
V2ガンダムのプラモデルパッケージを見て、「なかなかカッコいいデザインだな」と感心し、個人輸入品のため高かったですがその場で購入しました。もちろん誰がデザイナーかなんて知る由もありませんが、後でカトキハジメ氏だと知って納得しました。複雑な造形のSガンダムより、数段完成度の高いデザインワークです。展開が3D造形物でなく、アニメ用デザインだったからシンプルなラインでまとめられていたのかもしれません。
第8章: ついに帰国、手にした「スーパーロボット大鑑Ver.98」
1998年に欧州駐在から帰国しました。知らない4シリーズのガンダムをはじめ、日本を離れていた期間の展開が気になり、書店で手に取ってみたのが「スーパーロボット大観Ver.98」でした。一部の作品では記載された情報量に不満が募るものの、全体的には非常に良くまとめられた好著です。
「ああ、そうだったな」、「これは知ってるけど見たことはないな」、「こんなのがあったんだ」などと楽しみながらページをめくっていくと、105ページに釘付けとなりました。それまで見たことも聞いたこともない、シンプルで美しいプロポーションをしたバルキリーが立っていたのです。
「超時空要塞マクロス・・・Ⅱ??? VF-2SSバルキリー・・・Ⅱ??? 一体こいつは何なんだ!? 日本を離れていた間に、こんな素晴らしいメカデザインが創造されていたのか!?」
最終章: やっと解き明かした、「バルキリーⅡ」の正体
帰国後は東京勤務でした。生活と仕事が落ち着いたころ、取り敢えず行ったのが近所のレンタルビデオ屋です。「ある、ある」と思って、「超時空要塞マクロスⅡ」(1992年)を借りました。観終わったら、「あれ? バルキリーⅡ出てたっけ?」と、キツネにつままれたような状態でした。「このアニメはひどいぞ、アニメルートから情報は得られないな」、そう強く感じました。
本作が世に出た頃は、私の欧州赴任とタイミングが丁度重なっており、リアルタイムの情報を知らないことが大きなハンデとなって、私の前に立ちはだかりました。そんな中、一つの突破口となったのが、秋葉原・ラジオ会館内のガレージキット店で見つけた、烈風「1/100 バルキリーⅡ バトロイド」でした。
「スーパーロボット大観Ver.98」に掲載されていたバルキリーⅡの姿は、吉田穣氏によるイラストだけだったので、キットのパッケージに使われているメカ画稿を目にしたのは、この時が初めてでした。「こんなガレージキットが出てたんだ!!」と、凄いお宝を手にしたような気持ちになりました。
それからも地道にガレージキット店を回りましたが、それほど成果はなく、数年後に地元の田舎へ転勤になりました。しかし、科学技術の進歩と時代の変化は目覚しく、田舎に居てもインターネットを駆使することで、ガレージキットやムック本、記事が掲載されている当時のアニメ誌や模型誌などを発掘でき、数年の歳月を経て、何とか 「VF-2SS バルキリーⅡ」 の正体にたどり着くことができました。
そのエッセンスを集約したのが、このウェブサイトです。バルキリーⅡ(ノーマルタイプ)に関し、ここまで体系的にまとめあげた情報は、世界的にも数えるほどしかありません。そういう、同じ志を持った熱狂的なファンと、今後は横の連携を築いていきたいと考えています。
バルキリーⅡは、“アニメファンの論理”が勝る日本より、海外で高い人気を博しているようです。本機を闇に葬りたいアニメ関係者らの思惑が文字情報(日本語)なのに対し、メカデザインは言語や論理を超え、造形美が視覚的に直接伝達されるからでしょう。つまり、海外では必然的に“模型ファンの論理”が優位に立つ環境なのです。そこで、本サイトを基盤として、「インターナショナル・バルキリーⅡ・ファンクラブ」の創設を志しています。2012年が誕生20周年です。私たちの手で、立派な成人式を執り行えられたらいいですね。
皆さんも、まずは本サイトでバルキリーⅡの魅力を堪能して下さい。そして、私と同様に 「VF-2SS バルキリーⅡ」 を好きになられたら、是非「お問合せ」ページからお気軽にご連絡ください。
〔執筆 2010年9月〕