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ブログ 〔 マニアック放言録 〕

2017.03.25

女優 「広瀬すず」 の問題点

昨日、若手女優のトップランナー広瀬すずちゃんの最新作 『チア☆ダン』 を観た。

結論から言おう・・・、番宣のやり過ぎだ。
過多な番宣情報が作品をダメにした。

非常に良い作品なのに、事前の煽り過ぎで、
予想を超える感動が得られない結果だったからだ。

飛ぶ鳥を落とす勢いの広瀬すずちゃんを抜擢して、
過酷なダンス訓練を経て完成させた作品だけに、
大々的な宣伝を打ちたくなる気持ちは分かる。

キャストが番宣出演した番組数は圧倒的に多く、
作品の内容も悪くないだけに、この春の青春映画は
『チア☆ダン』の一人勝ちになると想像していたが、
いざ蓋を開くと、決してそうではないようだった。

実話を基にしていることが、アピール材料になる半面、作品の結論が分かっている(=ネタバレしている)ため、
結論まで至る過程に余程のドラマを組み込まないと、映像作品として実話以上の感動を創り出すことができない。

そうでありながら、同じ状況にある 『ビリギャル』 では、作品を観た時のネタバレ落胆感は印象に残っていない。
つまり、『チア☆ダン』 を観た時感じた作品の物足り無さは、作品の内容や完成度が問題ではないのだろう。

私の結論はこうだ。

作品が、「広瀬すず」という女優の力に負けている。

ひいき目に見ても、客観的に見ても、批判的に見ても、広瀬すずちゃんの “女優力” は圧倒的だ。
彼女のルックスはもちろんだが、表情や演技、その存在感が強すぎて、物語が色褪せてしまうのだ。

実力・人気・知名度で同年代女優から群を抜いているため、多くの製作者や監督が広瀬すずちゃんを使いたがる。
さらに彼女は今、ハイティーンという宝石のような時間帯の只中にいる。そのため、今の彼女にしか演じられない、
等身大の年代、等身大の役柄で起用したくなるのだろう。そこに大きな問題点がある。すず作品の落とし穴だ。

『ちはやふる』、『四月は君の嘘』、『チア☆ダン』と、全てが広瀬すずちゃんを引き立てる映画のようになっている。
もちろん、製作者も監督もそのつもりはないだろうが、普通の生活の中にあんな女性はそうそう存在はしていない。
だから違和感が生まれ、登場人物の物語上の存在感以上に、「広瀬すず」という女優の存在感が勝ってしまうためだ。

「広瀬すず」という若い “大女優” を、年齢の等身大ではなく、女優力の等身大に合わせた役に起用しなくてはならない。
そのために必要なのは、同年代の高校生の日常生活を描いた物語ではなく、もっと特殊で非日常的な物語である。

言い方を変えれば、ハイティーンの心情を描く叙情詩ではなく、壮大な構造の物語を描く叙事詩が必要ということだ。
例えるなら、『スターウォーズ』のようなSFサーガや、『風と共に去りぬ』のような大河物語など、
「広瀬すず」という女優の力に負けないだけの、魅力的で構造的な仕掛けが物語自体に必要ってことなのだ。

次回の主演作も、高校生活における “ちっちゃな” 恋愛物なのが残念。
「広瀬すず」の女優力に対し、「病死」や「全米制覇」の仕掛けですらほぼ無力だったというのに。

製作者が企画を立てる際、安易に「広瀬すず」という女優力に頼り過ぎなのではないか。
監督が創作したい作品に対し、出演者として後から「広瀬すず」を選択するのではなく、
「広瀬すず」の女優力に見合った作品の企画を立てるところから始めなくてはならない。

今のような製作企画方法では、いつまで経っても「広瀬すず」に “代表作” は生まれないだろう。

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