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ブログ 〔 マニアック放言録 〕

2017.03.07

『シン・ゴジラ』 と 『ローグ・ワン』

3月3日に開催された『第40回日本アカデミー賞』授賞式にて、
我らが 『シン・ゴジラ』 が特撮映画として “史上初” の最優秀作品賞に輝いた‼ 拍手! 拍手!
他にも数々の最優秀賞(最多7冠)を受賞し、日本映画史にその名を永遠に刻んだ。

初日に鑑賞した直後の感想は、昨年7月29日のブログの通りだが、私の 『シン・ゴジラ』 評には幾つかの視点がある。

1. 未知の巨大生物を災害ととらえた純粋な「防災・災害対策」映画であること。
2. ゴジラを人間的感情の無い純粋な「自然の脅威」として描き切っていること。
3. 余計な人情劇を絡めない純粋な「人間vsゴジラ」の闘いを追求していること。

つまり、観客に媚びを売るような見え見えの展開を避け、徹底的に当映画の本質的なテーマを掘り下げた訳だ。
当然、流行りの漫画や小説を原作にしていないし、伝統を尊重しつつも、全く新しい映画作りに挑戦をして成功した。
その映画作りの姿勢こそが、『シン・ゴジラ』最大の魅力だ。ディズニーの姑息な『フォースの覚醒』とは真逆だ。

ディズニーは商魂逞しく、スターウォーズのサイドストーリーまで映画化し始めた。
エピソードⅣ直前の物語を描いた 『ローグ・ワン』 だ。

私は第一作劇場公開時からのスターウォーズ・ファンなので、ディズニーが嫌いでもしっかり劇場で観た。
さあ、皆さんはご覧になってどう思われただろうか。

まず、あの作品を間違ってでも “最高傑作” と謳うような人物は、そもそもスターウォーズの本質が何も分かっていない。

普通のSF特撮映画として見たら出来は良いが、エピソードⅣの美味しい伏線で姑息に観客の得点を稼いでいるので、
シリーズから完全に切り離された単独の作品としては評価できない。スターウォーズの世界観に当てはめて評価するなら、『ローグ・ワン』は正当な『スターウォーズ』映画ではなかった。

その理由は明白。フォースの闘い(ジェダイvsシス)が描かれていないからだ。

冒頭で “STAR WARS” のタイトルを出さず、お馴染みのテーマ曲を流さなかったことが、ディズニーの良心だろう。
その点だけは評価する。スターウォーズ・シリーズへの敬意が感じられた。そうしなければ許されなかったろう。

『ローグ・ワン』の中で唯一、『スターウォーズ』映画と呼べるシーンがあった。目の覚める思いがした。
スターウォーズをスターウォーズたらしめている本質が如実に表れている、ほんの一瞬のシーン。

ほとんどクライマックス。ダースベイダーが反乱軍の宇宙船に乗り込み、
銃器で迎え撃つ兵士たちをライトセイバーでなぎ倒すシーンだ。

圧巻の一言に尽きる。オリジナルのエピソードⅣより、圧倒的に魅力的で見事な完成度に仕上がっていた。
ダースベイダーの鬼神のような制圧力、文明の利器である銃器を無力化し、刀で迎え撃つという既成概念の打破。

そもそも、未来を描いていたSF映画にあって、「A long time ago, in a galaxy far, far away....」と始めてみせた。
宇宙論を無視した人間型異星人に満ち溢れる銀河を設定し、反乱軍を主役にした。

現代の “当たり前” をことごとく覆す仕掛けに満ち溢れている映画が、『スターウォーズ』なのだ。

でも、このシーンはエピソードⅣから借りてきたもの。
『ローグ・ワン』のオリジナル・シーンではない。

中国武術の「気」の概念に似た「フォース」(第一作では理力と翻訳)の設定こそが、ルーカスの偉大な “発明” だ。
フォースという虚構(ファンタジー)の周りを、特撮によるリアリティで固めた世界観がスターウォーズそのものなのだ。
だから、フォースの闘いが描かれていないと、スターウォーズとは呼べない。

つまり、普通の映画。

そう、『ローグ・ワン』は普通のSF映画であり、正当な『スターウォーズ』映画ではないのだ。
分類にすら入っていないのだから、そもそも最高傑作などであろう訳がなかろう。

目を覚ませ、にわかスターウォーズ・ファンどもよ。
まず自分自身に “フォースの覚醒” を起こすのだ。

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